2023年04月19日
江戸時代の文化史<抜き打ちテスト>その2
こんにちは!個別指導塾フォワードの松下です!
本日は前回に引き続き江戸の文化を取り扱っていきたいと思います!
それではさっそく問題です!
〇化政文化について以下の選択肢から誤っているものを選べ
@ 洒落本の作者であった山東京伝は天保の改革で蔦屋重三郎とともに処罰された。
A 恋川春町は黄表紙本の作者であり『鸚鵡返文武二道』を書いた
B 山東京伝は洒落本の作者というだけでなく、黄表紙本なども書いた
C 滑稽本の作者だった十返舎一九は『東海道中膝栗毛』を書いた
〇以下の選択肢から誤っているものを選べ
@ 合巻は黄表紙本を数冊とじた長編小説である
A 『偐紫田舎源氏』の作者である柳亭種彦は天保の改革で弾圧されたが幕臣であった
B 寛政の改革で弾圧を受けた為永春水は『春色梅児誉美』の作者であった
C 読本作者の上田秋成は『雨月物語』の作者である
いかがでしょうか?今回も主に出版や文学を中心に問題を作りました。
特に政治史と絡んでいる出版の規制などは頻出の内容なので作者やいつの改革だったかを忘れている場合は確認しましょう!それでは答えです!
〇化政文化について以下の選択肢から誤っているものを選べ
@洒落本の作者であった山東京伝は天保の改革で蔦屋重三郎とともに処罰された。
A恋川春町は黄表紙本の作者であり『鸚鵡返文武二道』を書いた
B山東京伝は洒落本の作者というだけでなく、黄表紙本なども書いた
C滑稽本の作者だった十辺舎一九は『東海道中膝栗毛』を書いた
→答えは@:処罰されたのは寛政の改革
解説:@ABについて…寛政の改革は松平定信が務めた改革で、天明の大飢饉後の幕府財政を立て直す狙いがありました。そんな中で緊縮財政を実施、幕府や町人にも贅沢を禁止するとともに風俗の取り締まりにも力を入れました。その中で規制されたのが山東京伝と恋川春町です。なお、洒落本と黄表紙本の内容ですが洒落本は遊郭を題材にした戯作で、遊女との駆け引きや笑い話と併せて遊郭の遊び方や粋とは何ぞやということを紹介した作品です。黄表紙本は当時の幕府政治や江戸で起こった事件を言葉遊びやナンセンスな笑いで風刺する作品で田沼意次や松平定信を題材とした作品も出されたため規制を受けました。ちなみに、Bの山東京伝が洒落本・黄表紙本の作者だったという部分ですが、山東京伝は洒落本・黄表紙本以外に読本・合巻・滑稽本・艶本・児童作品も書いており、ついでに浮世絵師で小物屋を営んでいるというそれこそなんでもやっている人でした。
〇以下の選択肢から誤っているものを選べ
@合巻は黄表紙本を数冊とじた長編小説である
A『偐紫田舎源氏』の作者である柳亭種彦は天保の改革で弾圧されたが幕臣であった
B寛政の改革で弾圧を受けた為永春水は『春色梅児誉美』の作者であった
C読本作者の上田秋成は『雨月物語』の作者である
→答えB:寛政の改革ではなく天保の改革
解説:@寛政の改革で規制を受けた黄表紙本は徐々にかたき討ち物などに内容が変化していき、その長さも長くなっていきました。その結果5丁で1巻として1冊、それを2〜3巻でまとめるとなっていた黄表紙本から、5巻で1冊という風に「巻」を「合わせた」ところから「合巻」と呼ばれるようになりました。
A柳亭種彦は旗本の家の人間で幕臣でした。もちろん、柳亭種彦というのは作家名で、本名は高屋知久といいました。『偐紫田舎源氏』は天保の改革で徳川家斉をモデルとしている、大奥の内情を描いているとされて処罰されました。『偐紫田舎源氏』の内容ですが、室町時代を舞台にしており、好色を装いながら山名宗全が盗み出した足利の宝を奪還し、将軍の位を狙う山名宗全の陰謀をあばく足利光氏の物語です。
B為永春水の『春色梅児誉美』は人情本の代表作です。人情本は主に女性をターゲットにした作品で、その性質上遊郭を舞台とした洒落本とは異なり、町の男女の三角関係やそれに付随する生き方を描いた作品です。私は少女漫画原作のドラマなども好きなのですが、内容が割といまでも通用する部分があるなぁと思ったりしています。
C読本とは伝記風小説で口語体で語られながらも扱う内容が勧善懲悪や因果応報であり、漢語なども用いられたため滑稽本などよりも文学性の高いジャンルの作品です。ちなみに、値段も他のジャンルに比べて高かったとか。読本の代表作としては今回の『雨月物語』のほかに、曲亭 馬琴の『南総里見八犬伝』などが有名です。
以上です。文学作品は色々ありますが、ただ名前で覚えようとすると本当にただの暗記になってしまいます。
当時の文学の流行やどんな内容の作品だったのかを知ることで1つ1つの記憶を線でつないだ記憶にしていきましょう!
それでは!
posted by 松下勇太 at 14:43| Comment(0)
| 日本史
2023年04月18日
江戸時代の文化史<抜き打ちテスト>
どうも!個別指導塾フォワードの松下です!
今日も日本史のお話をしていきましょう!
今日は江戸の文化史です。その中でも書物と作者に焦点を当ててお話をしていきましょう!
以前にも書きましたが江戸の文化史は文化史の中でも優先順位が高い内容です!
文化史は苦手としている生徒さんも多いですがまずは頻出の内容からきっちりと抑えていきましょう!
それでは問題です!
〇以下の語群A・Bから著作・人物・説明それぞれを正しい組み合わせ
◆語群A
ア、林羅山 イ、新井白石 ウ、山鹿素行 エ、貝原益軒 オ、稲生若水 カ、宮崎安貞 キ、吉田光由
ク、関孝和 ケ、安井算哲 コ、契沖 サ、北村季吟
◆語群B
@『貞享暦』→日本人が作成した最初の暦
A『発微算法』→和算の頂点。計算手順を紙に書き写した筆算代数学を開始
B『大和本草』→薬学の事典
C『源氏物語湖月抄』→源氏物語の注釈書
D『読史余論』→独自の時代区分、九変五変論を唱えた
E『庶物類纂』→植物・動物・鉱物の事典
F『武家事記』→歴史書・武家故実書
G『本朝通鑑』→幕府の命令で編纂した古代〜近世までの歴史書
H『塵却記』→和算の入門書。
I『万葉代匠記』→万葉集の注釈書
J『農業全書』→作物の栽培方法・農業技術を記す
いかがでしょうか?有名な文献とその説明を載せましたが作者が混ざりやすい部分でもあります。またもしわからなくても下の解答を確認してからもう一度解いてみるとより効果が出ると思います!
それでは解答です!
◆解答
ア、林羅山…G『本朝通鑑』→幕府の命令で編纂した古代〜近世までの歴史書
イ、新井白石…D『読史余論』→独自の時代区分、九変五変論を唱えた
ウ、山鹿素行…F『武家事記』→歴史書・武家故実書
エ、貝原益軒…B『大和本草』→薬学の事典
オ、稲生若水…E『庶物類纂』→植物・動物・鉱物の事典
カ、宮崎安貞…J『農業全書』→作物の栽培方法・農業技術を記す
キ、吉田光由…H『塵却記』→和算の入門書。
ク、関孝和…A『発微算法』→和算の頂点。計算手順を紙に書き写した筆算代数学を開始
ケ、安井算哲…@『貞享暦』→日本人が作成した最初の暦。
コ、契沖…I『万葉代匠記』→万葉集の注釈書
サ、北村季吟…C『源氏物語湖月抄』→源氏物語の注釈書
特によく出るのは林羅山や新井白石の書物ですね。宮崎安貞どもよく見かけると思います。
今の朝の連続テレビ小説が牧野富太郎博士がモデルのため、江戸時代の本草学の貝原益軒や稲生若水も出題されるかもしれません。どうしても一つ一つの知識がバラバラになりやすい文化史ですが、内容をセットで覚えるなどして奥行きをもって理解しておくとより学習が進むと思います。
次もまた、江戸の文化史を扱いたいと思います!
それでは!
posted by 松下勇太 at 16:55| Comment(0)
| 日本史
2023年04月17日
鎌倉・室町の仏教<抜き打ち問題>
どうも!個別指導塾フォワードの松下です!
本日は鎌倉・室町の仏教文化の問題を出したいと思います!
鎌倉仏教というと浄土宗者浄土真宗などが有名ですが、今回はそれとは別の方々にスポットを当てたいと思います!というのも大学受験では京都五山、鎌倉五山などの覚えにくい部分が良く狙い撃ちされると同時にお寺や僧侶がごっちゃになりやすい内容でもあります。今回、確認問題と解説をつけておりますので、どれくらい知識が固まっているか確認いただければ幸いです。
それではまずは問題から!
鎌倉時代の僧侶について書いた文章で正しいものを選べ
ア、明庵栄西は本山を永平寺に持つ臨済宗の開祖で著作に『興禅護国論』などがある。
イ、南宋の僧であった蘭渓道隆は8代執権北条時宗の帰依を受けて鎌倉に円覚寺を開いた
ウ、南宋の僧であった無学祖元は5代執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に建長寺を開いた
エ、虎関師錬は最初の仏教史書である『元亨釈書』の作者である
オ、一休宗純は大徳寺の僧であり、禅宗の腐敗を嘆いて『狂雲集』で風刺をした
室町時代の僧侶について書いた文章で正しいもの2つを選べ
ア、夢窓疎石は後醍醐天皇や足利尊氏からの信任が厚く建長寺の開山などで活躍した
イ、春屋妙葩は8代将軍足利義政の保護を受けて相国寺を建立した。
ウ、瑞溪周鳳は日明貿易の資料である『善隣国宝記』の編者である
エ、義堂周信は五山文学の僧で鎌倉公方の上杉憲実の要請で鎌倉に下った
オ、絶海中津は五山文学の僧であり明に留学した。漢詩文に優れ、五山文学の最高峰ともいわれた
カ、桂庵玄樹は五山文学の僧で朱子学の学者である。島津に招かれ南学派を起こした。
キ、雪舟は日本水墨画の完成車で代表作に『瓢箪図』がある
以下の文章で正しいものを選べ
ア、足利尊氏は五山十刹の制を定めて、臨済宗寺院の統制を行った
イ、五山十刹の制は京都五山と鎌倉五山を定めその下に諸山納める制度で、南禅寺が五山より上とされた
ウ、鎌倉五山としては天竜寺・建仁寺・東福寺などがある
エ、京都五山としては建長寺・円覚寺・寿福寺などがある
オ、曹洞宗は幕府が保護した仏教であり、上級貴族の帰依を受けたが、臨済宗は地方武士や庶民が信仰した
いかがでしょうか?聞いたことがある、見たことがある僧が多くいると思いますが、お寺や帰依した将軍など細かい部分があいまいだったりしたのではないでしょうか?受験ではそういった微妙なラインや忘れやすい部分が必ず問われます!また、初めて知ったことがあれば新しくインプットしてさらなる理解につなげていきましょう!
それでは解答です!
鎌倉時代の僧侶について書いた文章で正しいものを選べ
ア、明庵栄西は本山を永平寺に持つ臨済宗の開祖で著作に『興禅護国論』などがある。×
→臨済宗の総本山は建仁寺
イ、南宋の僧であった蘭渓道隆は8代執権北条時宗の帰依を受けて鎌倉に円覚寺を開いた。×
→無学祖玄の誤り
ウ、南宋の僧であった無学祖元は5代執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に建長寺を開いた。×
→蘭渓道隆の誤り
エ、虎関師錬は最初の仏教史書である『元亨釈書』の作者である〇 →正解
オ、一休宗純は大徳寺に住んでいた僧。禅宗の腐敗を嘆いて『狂雲集』で風刺をした。×
→一休宗純は室町時代の僧
室町時代の僧侶について書いた文章で正しいもの2つを選べ
ア、夢窓疎石は後醍醐天皇や足利尊氏からの信任が厚く建長寺の開山などで活躍した×
→夢窓疎石が開山したのは天竜寺
イ、春屋妙葩は8代将軍足利義政の保護を受けて相国寺を建立した。×
→足利義満の保護を受けた
ウ、瑞溪周鳳は日明貿易の資料である『善隣国宝記』の編者である。〇
→正しい
エ、義堂周信は五山文学の僧で鎌倉公方の上杉憲実の要請で鎌倉に下った。×
→鎌倉公方足利基氏の要請である
オ、絶海中津は五山文学の僧であり明に留学した。漢詩文に優れ、五山文学の最高峰ともいわれた。〇
→正しい
カ、桂庵玄樹は五山文学の僧で朱子学の学者である。島津に招かれ南学派を起こした。×
→桂庵玄樹は薩南学派の祖、南学をおこしたのは南村梅軒
キ、雪舟は日本水墨画の完成車で代表作に『瓢箪図』がある。×
→瓢箪図は大巧如拙の作品。雪舟の作品は「四季山水図」や「天橋立図」である。
以下の文章で正しいものを選べ
ア、足利尊氏は五山十刹の制を定めて、臨済宗寺院の統制を行った。×
→五山十刹の制を定めたのは足利義満
イ、五山十刹の制は京都五山と鎌倉五山を定めその下に諸山納める制度で、南禅寺が五山より上とされた。〇
→正しい
ウ、鎌倉五山としては天竜寺・建仁寺・東福寺などがある。×
→鎌倉五山の誤り
エ、京都五山としては建長寺・円覚寺・寿福寺などがある。×
→京都五山の誤り
オ、曹洞宗は幕府が保護した仏教であり、上級貴族の帰依を受けたが、臨済宗は地方武士や庶民が信仰した。〇
→曹洞宗と臨済宗が逆
以上です!ここに載せたものは細かいですが、マーチ以上では知っていて当然というレベルになってきますし、日東駒専でもよく出る内容です!しっかりと確認しておきましょう!
それでは!
posted by 松下勇太 at 17:00| Comment(0)
| 日本史