2023年06月12日
琉球・沖縄の日本史問題演習<第2回>
こんにちは!個別指導塾フォワードの松下です!
本日は沖縄の歴史の第2回目です!今日も今日とて問題をやっていきましょう!
本土が室町時代に入ったころ、琉球では北山・中山・南山からなる三山文化が成立していた。1429年に中山の王であった( 1 )が三山を統一して琉球国を建国し、首都を( 2 )に定めた。琉球は明や日本などと国交を結ぶとともに海外貿易を盛んにおこなった。琉球船は南方のジャワ島・スマトラ島・インドシナ半島などにまでその行動範囲を広げ明の解禁政策のもとで東アジア諸国間の( 3 )で活躍したため( 2 )の外港である( 4 )は重要な国際港として発展した。
その後を引き継いだ尚徳王は海外への膨張政策を勧め結果的に国内の反発にあい1470年、尚徳王に代わって内間金丸が即位し名を( 5 )と称した。尚巴志の立てた王朝を第一尚氏王朝、尚円王が立てた王朝を第二尚氏王朝という。1490年には第二尚氏王朝の3代目である( 6 )が王府組織を整備し、奄美〜八重山群島に至るまでを支配した。15世紀における琉球はこのように国内での動向が激しい一方で国際的な国と発展していった。首里城正殿の鐘銘には「琉球国は…万国の津梁(架け橋)」と記している。
また、1531年には琉球政府により古代歌謡を集成した( 7 )の編集が開始された。
いかがでしょうか?琉球というと尚巴志が有名ですね。ただ、大問すべてが琉球の話題の場合、より深い部分についても出題されることがあるためこの機会に学習してみましょう。
それでは解答です!
本土が室町時代に入ったころ、琉球では北山・中山・南山からなる三山文化が成立していた。1429年に中山の王であった(1尚巴志)が三山を統一して琉球国を建国し、首都を(2首里)に定めた。琉球は明や日本などと国交を結ぶとともに海外貿易を盛んにおこなった。琉球船は南方のジャワ島・スマトラ島・インドシナ半島などにまでその行動範囲を広げ明の解禁政策のもとで東アジア諸国間の(3中継貿易)で活躍したため(2首里)の外港である(4那覇)は重要な国際港として発展した。
その後を引き継いだ尚徳王は海外への膨張政策を勧め結果的に国内の反発にあい1470年、尚徳王に代わって内間金丸が即位し名を(5尚円王)と称した。尚巴志の立てた王朝を第一尚氏王朝、尚円王が立てた王朝を第二尚氏王朝という。1490年には第二尚氏王朝の3代目である(6尚真王)が王府組織を整備し、奄美〜八重山群島に至るまでを支配した。15世紀における琉球はこのように国内での動向が激しい一方で国際的な国と発展していった。首里城正殿の鐘銘には「琉球国は…万国の津梁(架け橋)」と記している。
また、1531年には琉球政府により古代歌謡を集成した(7『おもろそうし』)の編集が開始された。
次回は第3回目です!
それではまた!
posted by 松下勇太 at 15:10| Comment(0)
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